大阪の下町風俗街で生きる

私は大阪の下町である日本橋で生まれ育ったヨシエ(仮)・35歳です。
日本橋は古くからある大衆居酒屋やキャバレー・映画館・ライブハウスが立ち並ぶ街で、私の両親はこの地域で定食屋を営んでいました。口数が少なく職人気質のお父ちゃんといつも笑顔で明るいお母ちゃんの2人で切り持っていた店は、地域で働いている人を中心にいつも賑わいを見せていたと思います。

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ただ朝はよっぱらったおじちゃんが道で寝転んでいたり、飲み屋のお姉ちゃんとおじちゃんが一緒に歩いていたりといかにもいかがわしい部分のある飲み屋街といった感じ。夜はネオンが光り輝いて、水商売の人や風俗で働いているお姉さん、それにサングラスをしているようなちょっと怖い人が歩き回りうちの店にもよく来ていました。そんなちょっと汚くて怖い街でしたが、その街に住む人達は思ったのと違って気さくで優しい人もいっぱいいます。小学生の私にお酒を飲ませようとしたり、男を夢中にさせる方法を話してきてお母ちゃんに怒られたりとしていましたが、そんな騒がしくても笑いが絶えない明るい雰囲気。店にいるといつも笑顔になれたので、私は定食屋も日本橋という街も大好きでした。

実家は決してお金がある訳ではなく、他に従業員も雇えないため学校から帰るといつも店を手伝っていました。ただそんな苦しい状況でも両親は私を地元の小学校・中学校に入れてくれ、人並みの教育を受けさせてくれたのです。小学校の頃は友達と遊ぶこともできなかったので、それについて「何で友達と遊べないの?」なんて思ったこともありましたが今にして思えば学校に通えただけありがたかったと思います。その頃は貧乏で決して恵まれた生活という訳ではありませんでしたが、毎日笑いながら生活することができささやかな幸せを感じることができました。

でも私が中学3年になった春に悲劇が起こりました。両親はいつものように早朝その日使う魚を黒門市場に仕入れに行きました。その日たまたま起きていた私に両親が「行って来るで」と笑いかけてくれたのです。私が両親を見たのはそれが最後になりました。乗っていた車が事故に巻き込まれ、2人とも命を落としてしまったのです。私しかいなくなった定食屋は結局両親の不幸とともに閉めることになり、私は近くに住んでいた叔父の家に引き取られます。でも毎日のように酒を飲んで夜遅く帰ってきた叔父は私によく暴力をふるいました。両親がいない寂しさと今の生活の苦しさに毎日のように涙を流し、何回も家出することを考える日々。でも何とか中学だけは卒業しようとその間だけは耐えました。そして中学を卒業した私は叔父の家を出て大衆居酒屋で働き始めます。その居酒屋のおじちゃんは定食屋に来ていた常連さんで、事情を話すと従業員として雇ってくれました。高校には通えませんでしたが住み込みで働くことができたので、仕事だけではなく住む場所も確保することができたのです。定食屋でお手伝いをしていたこともあり接客には慣れていたつもりでしたが、居酒屋はちょっと勝手が違います。そのおじちゃんは多少荒っぽい性格で仕事中もよく怒られましたが、私を実の娘のように愛情を持って育ててくれました。それに接客だけでなく会計や料理の方法も厳しく教えてくれ、今考えるとそれが将来のために活きているように感じます。しかしそれから3年が経ち私が高校卒業を迎える年になると、その大衆居酒屋は経営不振で店を畳むことになります。そこのおじちゃんは近い将来そうなることが分かっていたのか、私のお給料を管理し一人で生活できるための貯金を残してくれていたのです。おじちゃんと別れた私は日本橋のはずれにあるボロアパートで生活を始めました。

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